2026/07/15 17:15
できることだけやって、練習した気になるなよ。
練習は、やった方がいい。
反復すること。
身体に覚えさせること。
同じ動きを何度も繰り返すこと。
できることを、確実にできるようにしておくこと。
それは大事だ。
できることを雑に扱っていい、という話ではない。
基本を軽く見ていい、という話でもない。
でも、そこに落とし穴がある。
人は、できることをやっていると安心する。
失敗しない。
恥をかかない。
怒られない。
自分が下手だと思い知らされない。
だから、気分がいい。
ちゃんと練習しているように見える。
ちゃんと努力しているように感じる。
ちゃんと前に進んでいるような気がする。
でも、本当に成長しているかどうかは別だ。
できることだけを繰り返している時間は、
自分を確認する時間にはなる。
でも、自分を広げる時間にはなりにくい。
少し苦手なこと。
まだうまくできないこと。
失敗する可能性があること。
人に見られると恥ずかしいこと。
成長は、だいたいそのあたりに隠れている。
練習というのは、
できる自分を見せる場所ではない。
できない自分に出会う場所だ。
ここが弱い。
ここで逃げる。
ここで雑になる。
ここで怖がる。
ここでいつも同じミスをする。
そういう場所を見つけるために、練習がある。
だから、できることだけやっていると、
汗はかける。
時間も使える。
やった気にもなれる。
でも、肝心の弱点には触れていないことがある。
部活動でも、仕事でも、勉強でも、表現でも同じだ。
得意なところだけを回していると、
気持ちは楽だ。
でも、変わるのは、
ちょっと嫌なところに手を入れた時だ。
できないことを、できるようにする。
怖いところを、少しだけ越える。
雑にごまかしていたところを、もう一回やり直す。
そこにしか、本当の練習はない。
できることだけやって、練習した気になるなよ。
これは、努力を否定する言葉ではない。
むしろ、努力を本物にするための言葉だ。
練習したかどうかではなく、
何を練習したか。
時間を使ったかどうかではなく、
どこに向き合ったか。
汗をかいたかどうかではなく、
昨日の自分が避けていた場所に触れたか。
そこを見ろ、という一言だ。
胸元には、自分を見失わないための「自針」。
背中には、この言葉。
円相は、果てしなく広がる人生と宇宙。
その中にある自針は、できることの安心に流されず、
自分が本当に向き合うべき場所へ戻るための小さな印です。
これは、誰かに頑張っている姿を見せるための服ではありません。
できる自分に安心せず、
まだ伸びる自分へ向かうための一枚です。
