2026/09/08 09:41

才能がない自分を笑えるまで、やり続けろ。
才能がないと思う瞬間がある。
何度やっても、うまくいかない。
人より覚えが遅い。
同じ練習をしても、差がつく。
向いていないんじゃないかと、思ってしまう。
そういう時、才能という言葉は重い。
才能がない。
センスがない。
素質がない。
そう思った瞬間に、
やめる理由がひとつ増える。
自分には向いていない。
どうせあの人みたいにはなれない。
努力しても無駄かもしれない。
最初から持っているものが違う。
そう言いたくなる日がある。
でも、本当は分かっている。
才能があるかどうかなんて、
続けてみなければ分からない。
最初からうまい人はいる。
飲み込みの早い人もいる。
一度教わっただけで、形になる人もいる。
そういう人を見ると、正直きつい。
こっちは何度も間違えている。
何度も止まっている。
何度も同じ場所でつまずいている。
それでも、やめない人がいる。
才能がないことに傷つきながら、
それでも次の日また練習する人がいる。
向いていないかもしれないと思いながら、
それでももう一回だけやってみる人がいる。
そういう人は、強い。
才能がない自分を笑えるというのは、
あきらめることではない。
開き直って投げ出すことでもない。
むしろ、
才能がない自分ごと、引き受けるということだ。
俺は天才じゃない。
俺は器用じゃない。
俺は最初からできる側じゃない。
それでも、やる。
そう決めた人間は、簡単には折れない。
才能がないことを、
恥だと思っているうちは苦しい。
人と比べる。
落ち込む。
焦る。
自分だけ遠回りしているように感じる。
でも、続けているうちに、
少しだけ見え方が変わってくる。
うまくできない自分にも慣れてくる。
失敗する自分にも慣れてくる。
人より遅い自分にも慣れてくる。
そして、ある時ふと思う。
まあ、才能はなかったな。
でも、まだやってるな。
その時、人は少し笑える。
それは負け犬の笑いではない。
才能がないことを理由に逃げなかった人間の笑いだ。
できない自分を知っている。
遅い自分を知っている。
不器用な自分を知っている。
それでも続けてきた。
その時間だけは、誰にも奪えない。
才能がない自分を笑えるまで、やり続けろ。
これは、才能を否定する言葉ではない。
才能がある人をうらやむな、という言葉でもない。
ただ、
才能がないことを、やめる理由にするなという言葉だ。
才能がないなら、
練習するしかない。
不器用なら、
人より時間をかけるしかない。
遅いなら、
止まらず続けるしかない。
それは格好悪いかもしれない。
でも、格好悪いまま続けた人間にしか、
たどり着けない場所がある。
才能がない自分を笑えるようになった時、
そこにはもう、昔ほどの惨めさはない。
むしろ、
ここまで続けてきた自分への、少しだけ静かな誇りがある。
背番号は、36。
続けてきた時間が、
才能への答えになる番号。
最初から持っていたものではなく、
やめずに積み重ねてきたものを背負う番号。
胸元には、自分を見失わないための「自針」。
背中には、この一言。
円相は、果てしなく広がる人生と宇宙。
その中にある自針は、才能という言葉に揺らされそうな時、
もう一度、自分の練習へ戻るための小さな印です。
これは、天才のための服ではありません。
才能がない自分を笑えるところまで、
それでもやり続ける人のための一枚です。
